68年目の平和

今日は定休日だったので8時前に起き、8時15分から黙祷しました。

そう。今日は我が故郷の広島に原爆が投下された日です。

当時の広島は人口が40万人ほどで、そのうち死者、行方不明合わせて
12万2338人にまでなりました。

また、被爆後5年でさらに増えて20万人までお亡くなりになりました。

僕の祖父母は爆心地から2km圏内に住んでおり、被爆者(被爆者と認められた方も稀だと聞きます)となりました。

祖父は肺を患っており戦地には行けなかったそうです。今はその祖父も亡くなっていますが、その当時の話は幼少期よく話をしてくれました。

戦争に参加できず白い目で見られたこと、原爆が投下された時のキノコ雲、爆風、爆音、鮮烈な光・・・。

当時の僕には退屈な話でしたが、祖父はその凄惨な歴史に残すべき大事件を僕達孫にも伝えておきたかったのでしょう。

そういえば新居浜の小学校は修学旅行で平和記念資料館に行くのが通例ですが、僕の場合はすでに祖父が僕を平和記念資料館何回も連れて行ってくれていたので、「ここにはこういう資料があるよ」と少しガイドが出来るほどになりました。

ちょうどお盆の時期に広島に帰省していて、祖父母の出身地である長崎の投下日15日には広島で黙祷を捧げていました。

本当に毎年聞いていたので語ってくれたことを今も忘れず憶えています。

絶対に忘れてはならない事。世界で唯一の被爆国の日本はこのことをいつも世界に向けて発信していかなければなりません。

僕の世代はこの事件に対し問題意識が希薄になりがちですが、忘れられない現実があります。

祖父母は被爆者となり、祖父は亡くなってかれこれ10年になりますが、祖母は今も存命です。

でも、被爆した影響なのでしょう。子である母と母のお姉さんは甲状腺がんになりました。

この相互性は実証されているので、福島の方々もこれから長期に渡って甲状腺がんのリスクに怯えながら暮らしていかなくてはなりません。

多くの傷跡を残した原爆投下。絶対に忘れてはいけません。

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